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イラク戦争って結局、何だったの?

真の評価が定まるのはまだ遠い先

イラクから帰還し家族との再会を喜ぶ米兵(2011年12月18日撮影)

 昨年12月14日、オバマ米大統領は「イラク戦争の終結」を宣言、18日、イラク駐留米軍最後の車列がクウェート国境から出国しました。

 2003年3月に始まり、中東現代史でも希代の独裁者だったサダム・フセインの「恐怖の共和国」を打倒し、占領、暫定統治から主権移譲を経て、民主選挙で新政府を誕生させた8年9か月に及ぶイラク戦争の、静か過ぎるほどの「幕引き」でした。大使館職員や企業関係者、民間警備業者ら数千人は米国のイラク関与の証しとして滞在するものの、米軍関係者で残るのは大使館警護や兵器売却を担当する約200人のみです。

 死者約4500人、負傷約3万人という米兵の犠牲と1兆ドルの戦費を費やして、米国がイラクで得たものは何だったのでしょうか。また、この間、10万人とも言われるイラク人が命を落としました。勝利か、敗北か、その評価を、オバマ大統領はついに明言せず、不要な戦争に「責任ある終結を」と訴えてきたその公約の達成を強調するにとどまりました。

 未曽有の2001年同時テロを受け、「対テロ戦争」を宣言したブッシュ前政権。ならず者国家やテロ組織が大量破壊兵器を手に入れ、米国を攻撃するかもしれない強迫観念にとらわれ、危険を未然に排除する先制攻撃理論を構築、アフガニスタンのタリバン政権を容易に打倒した勢いを駆って、イラクのフセイン政権を軍事力で崩壊させました。

 表向きはフセインが大量破壊兵器を隠しているとの理由からでしたが、実際には、1980年代以降、中東と世界を振り回してきたフセインのイラクをこの際、強制排除し、民主化モデルを打ち立て、中東全体の民主化を図り、イスラエルと中東の平和融合を誘導する、というネオコンの強引な論理に基づく戦争でした。

 確かに、フセイン政権を排除し、民選政府を樹立した意味では目的は達成しましたが、イラク人捕虜虐待などの米軍スキャンダルが発覚、イラク国内も宗派対立から2006〜07年に内戦状態に陥り、米国の中東イスラム世界での威信は失墜。膨大な戦費は米国経済をむしばみ、金融危機の下地を作りました。中東民主化も結局、下からの民衆行動、つまり、昨年の「アラブの春」で初めて、本格的に歯車が動き始めた形です。

 イスラム教シーア派のマリキ政権は、シーア派の盟主イランの影響力を強く受けており、米中東戦略の重要なパートナーとはほど遠いのが実情です。マリキ首相は米軍撤退後、早速、スンニ派の政治指導者をバース党残党として摘発し始め、宗派対立再燃の兆しが強まっています。米国が確固とした関与を続けなければ、イラクの「民主政治」は宗派独裁に陥る懸念があります。

 イラク戦争の真の評価が定まるのはまだ遠い先のようです。
(編集委員 岡本道郎)

2012年1月1日  読売新聞)

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