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劇的なドラマに胸熱く

箱根駅伝 私の思い

 来年1月2、3日に行われる第88回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が、1か月半後に迫った。希望と汗のしみ込んだたすきをつなぐ10区間217・9キロ。毎年、日本の正月を沸かせるレースの魅力を、外国人タレントのダニエル・カールさんと歌舞伎俳優の中村福助さんにそれぞれの文化的視点から、そして日本テレビの佐藤良子アナウンサーに駅伝を伝える立場から熱く語ってもらった。

若者の冒険精神 夢中に…タレント ダニエル・カールさん51

 駅伝を初めてテレビで見たのは、交換留学生として奈良に来た高校生のとき。まだ箱根がどこにあるかも知らなかったけど、冬だったから箱根駅伝だったんじゃないかな。何時間も走り続けているというから、最初は「何だこりゃ?」とあっけにとられました。

 アメリカでは、1869年に大陸横断鉄道が開通する前に、東海岸と西海岸を結ぶ「ポニー・エクスプレス」というのがあったんです。ポニーは山形弁では「馬っこ」ですね。短期間しか存在しなかったけど、教科書にも載っているし、西部劇の映画に何本もなっている。国の発展に大きな役割を果たしたので、これを知らないアメリカ人はいません。

 乗り手は「ライダー」といって、ステーション(駅)という馬小屋で次々に馬を乗り換え、猛スピードで一日中走り続けた。駅伝という言葉は元々、中国や日本の古代の交通制度を指したそうだけれど、オラが連想したのは「ポニー・エクスプレス」なんです。

 ライダーは、馬に負担をかけずに多くの荷物を運べるよう、体重の軽い10代の若者が多かった。山賊や追いはぎが襲ってくる危険と隣り合わせだから、冒険精神に富んで強い人というイメージがある。勇敢なライダーは当時の新聞記事にも取り上げられ、ある意味有名人だったんです。箱根駅伝の選手も若者で、一生懸命走るところはまさに「ポニー・エクスプレス」。どの国にもいつの時代も若者がチャレンジする素晴らしい話があるんですよね。

 アメリカのスポーツ選手は野球でもアメフトでも一匹オオカミ的だけれど、一人一人がチームのために走る駅伝は日本的ですね。プレッシャーも一つのドラマになっている。

 今では、駅伝をテレビで見ていると、次の選手で順位を挽回できるか、とか夢中になってしまう。家族みんなで応援できるお正月に行われるのも、いいんだべな。

「復興忘れねえ」姿勢で

 今回は、「ガンバレ!」とか「一人じゃないぞ」とか、選手はみんな、東日本を応援するようなメッセージや思いを持って走ってくれるんじゃないかな。震災後初めての箱根駅伝だから、「復興への熱意を忘れねえでタスキをつなぎます」という姿で、テレビの前で見守る人々を感動させてほしい。特に東北や北関東出身の選手には、いい記録を出してほしいよね。

 Daniel Kahl 1960年、米国生まれ。大学卒業後、英語指導主事助手として山形県の中学・高校で3年間勤務。山形弁研究家、タレントとしてテレビ、ラジオ、講演などで活躍。

「和と絆」震災経て再認識…歌舞伎俳優 中村福助さん51

 東日本大震災を体験して、日本人は人間同士の「和」、そして「絆」について改めて考え直したと思います。人々が手と手を取り合って助け合うことの大切さを、多くの方が痛感したのではないでしょうか。私もそんな思いを巡らせた一人です。

 近年、駅伝の魅力を見直しています。選手たちが助け合ってたすきを渡していく。その姿こそ今の日本に最も求められる姿勢なのではないか。そう思って見る来年正月の箱根駅伝は、特別な大会になりそうです。

 父の中村芝翫(しかん)が10月に亡くなりましたが、芸というたすきを私にしっかりと渡してくれました。芝翫は幼くして父を亡くし、わずか5歳で芸のたすきを受けました。たすきを渡した私の祖父はさぞかし無念だったでしょう。ですが、父はその芸を長生きして私や弟の橋之助につないでくれ、今は感謝の思いでいっぱいです。私も息子の児太郎に手渡す義務があります。

 マラソンと異なり、駅伝は自分一人が好成績を収めても優勝できず、チームの総合力、そして和がなければ、レースを運べません。「運」という要素もあります。日本が生んだ駅伝というスポーツの魅力はそこにあり、長年にわたって人々を引きつけるのでしょう。

 選手たちは、学校のプライドをかけて戦っています。自分のためだけに頑張るのではなく、愛校心を胸に走る。己のためだけ、という風潮の世の中で、尊い気持ちを抱く選手に感動します。チームのため、学校のためにたすきを渡すために走り続ける。震災を目撃した私たちは、被災者のため、そして愛する日本のために動かねばいけない。スポーツを通して、多くのことを学べるような気がします。

 箱根駅伝は初芝居に重なります。劇場の楽屋のテレビで、母校の青山学院を含め、参加するすべての選手、そして陰で支える監督やスタッフ、注目されなくても必死に練習を積んできたであろう補欠の選手に向け、応援したいと思います。

多くの人の思い 胸に

 一生に一度の大学時代。二度と戻らない若き日の中で、精いっぱい力を出し切り、悔いのないような走りを見せてほしいと思います。自分の周りの人々だけではなく、コースの沿道で寒さの中を応援する人たち、テレビ越しに声援を送る人たちと、数え切れないほど多くの人々が見守ってくれている。そんな思いを胸に多くの人の心を揺さぶるレースを展開してください。

 なかむら・ふくすけ 1960年生まれ。67年に五代目児太郎を名乗って初舞台を踏み、92年に六代目福助を襲名。人気女形として高貴な女性から庶民まで幅広い役柄を持ち役とする。

「純粋な情熱」届く中継を…日本テレビアナウンサー 佐藤良子さん31

 入社5年目の2007年から箱根駅伝の放送に携わるようになり、事前にコースを体に覚え込ませようと往路108キロを5日かけて歩きました。

 子供の頃、視聴者として中継を見ていて鮮烈に覚えているのは、4区で2校の選手が足の故障のため途中棄権した1996年の悲劇でした。4区を実際にたどって、選手が足を引きずりだしてから、泣く泣く走るのをやめるまでの距離の長さにびっくり。このたすきの重みを伝えなければって強く思いましたね。

 レース当日は、スタート地点の大手町から直前番組を担当。一瞬の静けさの後、鍛え上げた選手たちが走り出す興奮に、ぞくりとしました。

 5年連続で担当してきて特に印象深いのは、初のシード権獲得(総合10位以内)を目指していた国学院大がゴール手前で道を間違えた今年のアクシデント。私がいた本社のスタジオにも悲鳴が上がりました。国学院は結局10位に滑り込んだのですが、最後に競った城西大は過去何度も11位に甘んじたことのある大学。選手たちのいろんな思いが頭の中を駆け巡りました。

 今年は、早稲田大が東洋大の3連覇を阻んだ優勝争いもたった21秒差。繰り上げにならないための戦いも含め、それぞれのレベルで熱く、涙なしに見られないのが箱根駅伝です。

 毎年中継放送に携わるアナウンサーは約20人。全20チームを手分けして監督と選手全員に話を聞く取材がそろそろ始まります。チームの伝統を背負い努力を重ねてきた選手たち。若くて純粋な彼らの情熱を、6年目となる来年の中継でも頑張って届けます。

2011年11月16日  読売新聞)
みんなで応援!箱根駅伝2012
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