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『出世をしない秘訣 でくのぼう考』 ジャン=ポール・ラクロワ著

評・松山 巖(評論家・作家)

組織の陰謀に「否(ノン)」を

 人を()ったタイトルから、かえって読者は通俗的な人生訓と判断するだろうが、文字通り「出世をしない秘訣(ひけつ)」に徹底して述べる。

 第一章「子どものうちからが肝心」では、決してよい点数はとるな、答案にはインチキを書け、わざと間違えろ、先生のお仕置きがあろうが、両親が嘆こうが、成績は悪くなるようにしろ、と。第二章以降は、事業家にならないため、いつまでも二等兵でいるため、流行作家にならぬため、政治家にならぬため、社会の寵児(ちょうじ)とならないためと、名誉や地位や財産を得ない秘訣を微に入り紹介する。とはいえアンリ・モニエのコミカルな挿絵と共に、全篇(ぜんぺん)軽妙な文章だから現代文化への痛烈な諷刺(ふうし)の書だと誰でも気づく。では著者の意図は諷刺だけか。

 〈「個々の人」。これを、しっかり()みこむことだ。/「歯車」とか「網の目」とか(略)あらゆる手段方法をつくして諸君を、否応(いやおう)なしに一つの組織、彼らの思いのままな組織、製造ラインのような成功の組織に組み入れて、その集団の一片にしようとする、いたるところに張りめぐらされた陰謀に対し、諸君は断然「(ノン)」と言うべきである〉。これが作者の結語。

 訳者は椎名其二(そのじ)。大杉栄と共にファーブルの『昆虫記』を訳し、その後パリに渡り、佐伯祐三の最期を看取(みと)り、森有正や野見山暁治らと友誼(ゆうぎ)を深めながら自らは製本業で暮らし、パリに死んだ伝説の自由人。本書はつまり、その椎名が半世紀前に翻訳し、名のみ知られた稀書(きしょ)の復刊であり、冒頭にかつての出版者小宮山量平が椎名の思い出を(つづ)った一文を添える。

 当時は六〇年安保の時代。椎名がなぜ本書を国論分裂の期に訳したのか。日本人よ、組織に動かされず自分自身で考え行動しろと彼は本書に託したのだ。ところで真の著者は主張通り名利を捨て、名を秘したようだ。ハテ、モニエも十九世紀の諷刺画家ではなかったか。ユーモアたっぷりの本書を我々は今、どう読むのか。

 ◇Jean‐Paul Lacroix=仏の作家。新聞に風刺エッセーを寄稿したとされるが詳しい経歴は謎に包まれている。

 こぶし書房 1900円

2011年11月14日  読売新聞)

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