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『正義のアイデア』 アマルティア・セン著

評・中島隆信(経済学者・慶応大教授)

開かれた理性こそ

 経済学者で正義を語る資格があるのは、貧困や不平等の研究で多くの業績があるセンを置いて他にいないだろう。

 もっとも本書は、センの哲学者としての側面が発揮された正義のアイデア集である。

 まずタイトルがいい。「正義論」を大上段に振りかざさずに、アイデアを積み重ねながら一歩一歩正義に近づいていこうという提案だ。

 センは制度ありきの伝統的正義論を先験的制度尊重主義と厳しく批判する。多様な価値観が存在するなか、唯一絶対の制度など不可能に近く、仮にそれを定めたとしても私たちが直面する問題の解決にはほとんど役立たないというのがその理由だ。

 むしろ注目されるべきは世界中に実在するさまざまな不正義だとセンは言う。飢餓、疫病、差別など優先順位の高い課題に対し、解決のためのアイデアを出すことが正義の実践という主張である。

 センの提示する正義の構成要素のひとつが「ケイパビリティ」の考え方だ。たとえば、栄養失調状態で育った子どもは、社会生活に要する基礎的体力に欠け、病気への抵抗力も弱い。そのため成人したのち生活援助や就労支援を享受する能力、すなわちケイパビリティが不足している。さらにこうした人たちの多くは少ない選択肢のなかでそれなりに満足を感じてしまうため、効用だけで正義を評価するには限界がある。

 正義を進めるための処方箋として、センは各人にとって自分の立場にとらわれない「開放的不偏性」のある理性と「公平な観察」が必要だと説く。マスメディアの役割はその手助けをすることであり、開かれた議論は観察眼を養う働きをする。そして、情報発信は施政者に対して正義を高めるプレッシャーを与える。

 原著の筆致を忠実に読者に伝えようという丁寧な翻訳には好感が持てる。巻末の訳者解説も理解の助けになろう。大部ではあるが、読み終えたとき正義を実践する勇気がもらえる一冊といえる。池本幸生訳。

 ◇Amartya Sen=1933年インド生まれ。ハーバード大教授。98年ノーベル経済学賞。主著『自由と経済開発』。

 明石書店 3800円

2012年1月16日  読売新聞)

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