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作者の言葉

題字と写真=宮城谷昌光氏

 中国で革命を起こして皇帝の位に即(つ)いた英雄に魅力のない人はいない。そのなかでも特に私が好きなのは後漢王朝を樹立した光武帝かもしれない。そう考えたのは三十年も前であり、まさか光武帝を小説に書く時がくるとは想(おも)ってもみなかった。光武帝にはユーモアがある。しかもかれの創業は颯爽(さっそう)としており、王朝を確立したあとにも温雅さがあった。三国時代に比肩する群雄割拠の時代の頂点にのぼりつめた光武帝の事蹟(じせき)を追って、読者とともに楽しみたい。

宮城谷昌光さんインタビュー

念願の光武帝「足震えた」

 後漢王朝を創始した光武帝(こうぶてい)の若き日を照らし出す、宮城谷昌光さん(64)の連載小説「草原の風」が2月1日、読売新聞朝刊で始まった。中国史上まれにみる名君となる英雄が2000年の時を超えて蘇(よみがえ)る。雄渾(ゆうこん)の筆をふるう作家に聞いた。

 「ずっと書きたかったけれど書けない。このまま一生を終わってしまうかもしれない」。多くの中国古代の偉人を発掘してきた宮城谷さんがそう思っていたほど、光武帝は焦がれながらも遠い存在だった。

 魅了されたのはデビュー前、中国史を学び始めた30代のころ。皇帝となっても功臣を大切にした度量の大きさやおごらないユーモア、「柔よく剛を制す」の語源ともなった戦いの鮮やかさに目を見張った。

 近年、史料がそろって「書けるのでは」と思い始め、5年がかりで準備してきたが、直前にも、「書き始めるのが怖くて足が震えた」という。この分野の大家にそこまで逡巡(しゅんじゅん)させる。それが、光武帝という星の巨大さだろう。

 舞台は、新(しん)(西暦8〜23年)の時代。200年余り続いた漢(前漢)から王莽(おうもう)が奪った王朝の治世は、民衆の不満という波乱の芽を含んでいた。漢の王族の末裔(まつえい)で南陽郡に住む劉秀(りゅうしゅう)(後の光武帝)は都への留学を控える身で、兄・劉●(りゅうえん)と豪族、陰(いん)氏の家へ向かう。この家の娘、陰麗華(れいか)は評判の美少女なのだが……。

 長い中国の歴史の中で、日本で最も人気が高いのは劉備(りゅうび)、曹操(そうそう)らが覇を競った三国志。次いで前漢の建国者、劉邦(りゅうほう)とライバル、項羽(こうう)の物語だろう。が、両時代の間を結ぶ後漢建国の話は、あまり小説に描かれたことがなく、「空白地帯」を埋める意味も大きい。

 「日本人は三国志しか知らない人が大半。その前にこんな面白い時代があるのだと伝えたい」。面白さの神髄は、「赤眉(せきび)の乱に始まる農民反乱に続き、各地の豪族が挙兵した群雄割拠の中で、磁力を持つかのような劉秀に力が集まっていった」秘密を突き止めることでもある。

 劉秀の覇業の前に立ちはだかるだろう、天水(てんすい)の隗囂(かいごう)、益(えき)州の公孫述(こうそんじゅつ)ら、いずれ劣らぬ英傑たちの活躍も楽しみだ。「益州(蜀(しょく))に入って劉秀に対抗した公孫述の戦略を、三国時代の劉備が参考にした節もある。三国志の原型のような時代でもあるんですね」

 挿絵は長年コンビを組む版画家の原田維夫(つなお)さんが担当。「勉強家で、絵から音楽のメロディーやハーモニーを感じさせる」と信頼を寄せる。

 執筆にあたっては、本名と字(あざな)の使い分けや当時の地名、距離の単位など、詳しい説明を配していくという。「中国の歴史小説に初めて挑む人にも読んでほしいから、『丁寧に分かりやすく』を心がけます。一番素晴らしい皇帝かもしれない光武帝を好きになってほしい。そうすれば、ほかの時代への目が開かれるはずです」(●は糸へんに「寅」)

刊行完結インタビュー

歴史小説は美しくあれ

「日常生活で味わえないふくよかさを与えるのが、歴史・時代小説の作家の使命かな」=和田康司撮影

 今年8月まで本紙で連載された中国歴史小説『草原の風』(中央公論新社、全3巻)の書籍刊行が完結し、作者の宮城谷昌光さんが16日、都内で記者会見した。作家自身が長年、人望に魅せられてきた「最も平凡に見えて最も非凡」という主人公・光武帝劉秀。そのすごさを、大いに語った。

 まだ読者の少なかった中国古代を小説に書こうと努力していた30代の頃、苦難の末に約2000年前、後漢王朝を開いた劉秀と出会った。以来、その「恐れや不安に耐え何もない所に道を作った」人生に共感してきた。三十数年を経て今回、前漢の劉邦や三国志の間に埋もれ、見過ごされてきた名君を掘り起こした。

 「天下を取った後も残虐にならず、これほど臣下に優しかった人は歴代の皇帝にもいない。優れた人物を自分の小説で知ってもらうのは本当にうれしいんです」。兄を殺した人物を許すなど、権力を得ても報復しなかった劉秀のような例は、日本の戦国期でも見あたらないという。

 小説では、貧しい家で農業に親しんで育った劉秀が、都への留学を経て一族の起こした革命に参加し、幾多の闘いに勝利していく姿が描かれる。留学時代から「現在の宅配便の走りのような仕事を編み出したアイデアマン」で、100万の大軍を少人数で撃退するなど、常識の裏をつく戦術も天才的。その強さは「人間だけでなく植物を見ていたこと」と考える。つまり、土と語り、天の気候を探って作物の成育を願った農業人としての学びを、社会に応用したことだ。

 劉秀の周りに磁石に引き寄せられるように名将が集まり、何度も窮地に陥る天下統一を助けていく過程も印象的だ。「彼は、ウソをつかず臣下や人民への思いやりを忘れなかった。そこに人を引き付けた魅力がある」。今の時代にも必要なリーダー像なのだろう。新聞連載中には東日本大震災が起きたが、「言葉の不思議な力は、たった一行の文章でも人を励ます」との思いを込め書き続けた。

 理想的な歴史・時代小説の形はとの問いにはこう答えた。「歴史小説は美しくないといけない。死語になりつつある言葉や忘れられた武将を復活させるなど方法はいろいろあるが、現代小説では持ち得ない様式美や言語美がいる。そのためにはまず、主人公がさっそうとしていなければ」

 その好例が、よみがえった「劉秀」に違いない。(文化部 佐藤憲一)

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