現在位置は です

本文です

熱い小説で気合入れ直そう

 それにしても寒い日が続きますね。これだけ寒い冬も久しぶり……つい背中が丸まりそうになりますが、ここは一発、熱い小説を読んで気合を入れ直しましょう!

『流刑の街』
(チャック・ホーガン、加賀山卓朗訳 ヴィレッジブックス、860円)

『流刑の街』

 先月、戦争がミステリーに与える影響云々(うんぬん)の話をしましたが、今回はドンズバの作品が来ました。主人公のメイヴンはイラク帰還兵。戦場の高揚感と充実感(このへん堂場は否定的だけどね)を忘れられぬまま帰国し、駐車場の警備員をしていた彼は、ある日突然「麻薬組織撲滅」を目的とする私兵軍団に招き入れられ、人生が一変します。

 ジャンルからいえば、ノワールということになるんでしょうが、単純にそうとも言い切れない一冊です。麻薬密売組織を襲って麻薬を処分し、金を奪うというこのグループの行動が、まず怪しい。大金を手に入れてあっという間に生活が変わっていくメイヴンですが、あるきっかけで仲間たちと対立。やがて――という筋書きはスピード感たっぷり、かつ納得できる(作った感がないのね)ものです。

 で、単純なノワールではないと言った理由ですけど、帰還兵であるメイヴンの心象風景が物語を全面的に支配しているが故かな。何というか、空疎。メイヴンの心の中心にはぽっかり穴が空いており、それを埋めるために求めていた「何か」を提供されて、一気に悪の道に踏み込んでいくのですが、彼の心は結局、最初から最後まで死んだままだったのでは?と思わせる空虚な感じがたまりません。麻薬密売組織という非日常の世界に戦いを挑むメイヴンですが、実は戦争というのはもっと非日常的な世界であり、どうしてもそこから逃れられないのでは、と想像してしまいます。だから堂場は、ノワールではなく一種の戦争小説として読みました。後半のアクションシーンの連続なんか、まさに市街戦のノリだしね。

 ところでこの小説、舞台はボストンなんですが、ちょっと不思議な印象を抱きました。私たち海外ミステリーファンにおなじみのボストンといえば、 何といってもパーカー描く「スペンサー」シリーズですよね。もちろん暗黒面もあるのですが、どことなくアカデミック(大学街だからね)、かつアメリカの故郷的なノスタルジーにあふれているような。「ボストン派」としては、80年代のリック・ボイヤーやウィリアム・G・ タプリーも、同じようにボストンの明るい面を描いていますが、ホーガンの場合は全面裏の世界。これ一冊で、ボストンのイメージが変わりますぜ。

『邪悪』
(ステファニー・ピントフ、七搦理美子訳 ハヤカワ文庫、940円)

『邪悪』

 時は1905年、舞台はニューヨーク州ドブソン――と、何となく講談調で紹介し始めたい、歴史・サイコスリラー。主人公の刑事と犯罪学者が2人で捜査にとりかかる筋立ては、昔懐かしの本格モノの香りもします。捜査が始まってすぐに、ある異常者が容疑者として浮かぶのですが、それがひっくり返るのが全体の3分の2を過ぎてから。そこから先は混沌(こんとん)としつつ、最後の謎解きシーンまで流れるような展開です。

 心に傷を負った男たちが、厳しい現実の中で苦しみながら再起する話(そういうシチュエーションが繰り返し語られるのね)を期待して読み始めたんですが、うーん、うーん……どうも掘り下げ方がイマイチ浅い。2人のトラウマ、もっと詳しく深く書いて欲しかったですね。小説を読むというのは、結局、主人公がどう変わっていくかを見極める行為ではないかと思うんですが(つまり、全ての小説はビルドゥング・ロマンスなのか?)、それを主眼ではなく脇に置く場合、本筋との絡み合いに作家は腐心するわけなのです。ピントフ、少しストーリーの流れを重視し過ぎたか? あと、この犯罪学者のキャラクター造形と役回りが……登場の時はいかにも雰囲気たっぷりだったのに(よくある、捜査に首を突っこむおせっかいな素人を想像したわけです)、結局何もしていない。何か、微妙に不満。

 それでも、20世紀初頭のニューヨークを描き出した手腕は確かです。この頃のニューヨークは摩天楼時代の前で、馬車と地下鉄が両方走っているという、現代化への過渡期。ゆるりと流れる時代の気配を感じられれば、それだけで収穫になります。ちなみに本書を読んで堂場がすぐにイメージしたのは、ウィリアム・L・デアンドリアの「ピンク・エンジェル」でした。才人・デアンドリアは、多種多様な作品を残していますが、その中の「歴史モノ」の一つ。これまた19世紀末のニューヨークを舞台に、当時市警本部長だった後の大統領・セオドア・ルーズベルトが活躍する快作です。デアンドリアの作品に漂うどこか楽天的(何つーか、ミュージカルを見ているようなんですよ)な雰囲気は、「邪悪」には皆無ではありますが。

『暗闇の蝶』
(マーティン・ブース、松本剛史訳 新潮文庫、781円)

『暗闇の蝶』

 以前、文藝春秋から発刊されていた「影なき紳士」の新訳です。いかにもヨーロッパのミステリーらしい、静けさと美しさにあふれた作品。イタリアの山奥の小さな町を舞台に、淡々と物語が進みます。っていうか、ほとんど進んでいない感じもするけど。

 語り手の「私」は、武器製造業者。暗殺用に使われる銃器の改造・ワンオフでの製造を生業とし、追っ手から逃れるために、世界各地を渡り歩いてきました。しかし初老を迎えた今、イタリアの山村に身を落ち着け、「最後」と決めた仕事に取り組んでいます。流浪の旅を続けてきた「私」にも里心が生じ、街の人たちとのこれまでにない触れ合いが始まり……ところがそこへ、「私」が「影の住人」と呼ぶ謎の男が現れ、「私」を追い回し始める、というだけの展開。現代的に、会話中心でスピーディな展開の小説に慣れた人だと、滅茶苦茶読みにくいかも。何せ前半には、ほとんど会話らしい会話もない。読者に向かって呼びかける手法も、古めかしい印象を加速させるわな。

 しかし、雰囲気抜群だなあ。異論を恐れずに言えば、ミステリーの主流がヨーロッパからアメリカに渡って久しいのですが、ヨーロッパの作品(作者はイギリス生まれ)にはやはり、アメリカの作品にはない独特の美しさがあります。この作品でも、自然や素朴な田舎町の人たちの描写が秀逸。日だまりの中を漂うようなぬるい雰囲気が全編に流れつつ、「私」の緊張感が次第に高まっていく様と対比を強めていきます。

 ふっと思い出したけど、舞台になる小さな村って、ギャビン・ライアルの「深夜プラス1」で、主人公のケインが逃走中に立ち寄る村の雰囲気によく似てるわ。国の違いこそあれ、ヨーロッパの小村が持つ独特の空気感は似通っているということでしょうか。こういう牧歌的な雰囲気も悪くない。基本アメリカ派の堂場が、珍しくそんなことを考えさせられました。

プロフィル

堂場瞬一:1963年生まれ。警察、スポーツ小説で活躍。代表作に「刑事・鳴沢了」「警視庁失踪課・高城賢吾」シリーズ。

2011年2月23日  読売新聞)

 ピックアップ

トップ


現在位置は です


編集者が選ぶ2011年海外ミステリー

海外ミステリーが傑作揃いだった2011年。各社担当編集者のベスト5を紹介します。

連載・企画

海外ミステリー応援隊【番外編】 2011年総括座談会
世界の長・短編大豊作…やはり新作「007」、「犯罪」不思議な味、北欧モノ健在(11月29日)

読書委員が選ぶ「震災後」の一冊

東日本大震災後の今だからこそ読みたい本20冊を被災3県の学校などに寄贈するプロジェクト

読売文学賞

読売文学賞の人びと
第62回受賞者にインタビュー

リンク