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家庭面の一世紀

(14)米騒動 記事差し止め

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一部空白で発行された1918年8月15日付の婦人付録

 1918年(大正7年)8月15日の「よみうり婦人付録」は紙面の一部が空白のまま発行された。約60行分の記事が削除された異様な紙面。削り残しの文字が残る生々しさだ。その理由は、同じ日の社会面に説明がある。

 「米価騰貴に伴う民衆蜂起事件の記事掲載絶対禁止」という見出しに続き、水野錬太郎内務大臣の談話が、大きな活字で掲載されている。

 「事件ははじめ富山の一漁村に起こりまして、それが京都、名古屋、大阪、神戸と次第に拡大して、ついに東京に及び、輦轂の下(天子のひざもとで)昨夜のような暴動を勃発するようになりました」

 「今回の事件に関して、その記事はお控えを願いたい。その記事は一切掲載していただきたくない。イヤもし掲載すれば差し押さえるという方針をとることになりました」

 史上名高い「米騒動」だ。第1次大戦にともなうインフレや投機などで米価が高騰し、怒った群衆が米問屋などを次々と襲った。内相談話の通り、口火を切ったのは富山県の漁師の妻たちで、当初は「越中女一揆」と呼ばれた。

 新聞は連日のように米騒動を伝えていた。婦人付録でも、「米価狂騰の悩み 圧迫されし生活」(8月2日)という見出しで、全面を使って特集を組んでいる。

 人気の「身の上相談」さえも休載し、「一家5人の生活で月30円いる。一家総出で働いて収入は23円しかない」などと当時の家計経済をくわしく報道している。

 米価の高騰は生活の問題であり、政府が恐れたのは主婦の怒りだった。15日の婦人付録の記事が差し止めになったのはそういう理由だった。

 新聞社側の抗議で、政府は掲載禁止を撤回する。8月18日の婦人付録には、内務省発表として各地の騒動の人数などを掲載している。東京・上野公園に1万人が集まったことがわかる。

 米騒動が導火線となり、大正期は普選運動や労働運動、婦選運動が盛んになっていく。

 (敬称略。引用文は仮名遣いなどを改め一部省略)

2009年5月25日  読売新聞)

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