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副総理はどれだけ権力があるの?

法律の規定なく、首相の後ろ盾が権力を左右

記者会見する岡田副総理(1月17日午後撮影)

 副総理の顔を何人、思い出せますか。この20年ぐらいに限ってみても、結構、います。

 自民党政権当時の宮沢内閣(1991年)で渡辺美智雄外相が務め、渡辺氏が退任すると後藤田正晴法相が就きました(93年)。

 55年体制で自民党初の下野となった細川内閣(93年)では、新生党の羽田孜党首が副総理兼外相となりました。

 社会党の村山富市委員長を首相にした自民、社会、新党さきがけの3党連立内閣(94年)では、最初は自民党総裁の河野洋平外相が副総理を務め、総裁が河野氏から橋本龍太郎通産相に交代したのに伴い、橋本氏が副総理になっています(95年)。

 その橋本氏が首相になると、社会党の久保亘書記長が副総理兼蔵相として入閣しました(96年)。

 それから10年以上の時を経て、民主党政権で副総理ポストが復活します。鳩山内閣での菅直人副総理兼国家戦略相(2009年)、そして、先の野田内閣の改造人事で誕生した岡田克也副総理兼行政改革担当相です。

 副総理というポストは法律で明確に定められているわけではなく、あらかじめ決まった所管も、トップを務める役所もありません。省を率いる閣僚なら、例えば、職員約6万人を擁する国土交通省(観光庁、気象庁、海上保安庁などを含む)の「長」である国土交通相は、それだけ使えるマンパワーも大きいわけです。首相は閣僚全員を指揮する立場にいるので、各省庁のマンパワーにも支えられているわけですが、副総理が動かせる役人の数は担保されていません。

 歴代副総理の多くは、外相だとか法相などを兼務していましたから、その役所のマンパワーに依存した面も大きかったようです。政権の「ナンバー2」なのに、その人を支える組織が常備されていないという点では、副総理の権力は意外と「弱い」と言えるのかも知れません。

 もっとも、先に挙げた副総理の顔ぶれを見れば、副総理の「機能」が一様でないことが分かると思います。

 ある時は、首相の相談役(後藤田氏がその典型でしょう)だったり、党内の力関係を均衡させ、にらみを利かせるためのバランサー(渡辺氏のような事例です)だったりします。

 連立を組む他党のトップや首脳が副総理を務めるパターン(羽田、河野、橋本、久保の各氏です)では、首相の側からすれば副総理は連立与党間の協力関係を維持する「人質」的な側面があり、副総理の側からすれば首相が連立を組む際の合意を無視して暴走しないように見張る「監視役」的な意味合いがあります。

 その意味では、民主党政権の副総理は、それ以前とやや趣を異にしているかも知れません。

 菅氏も岡田氏も、役所のトップを兼務しない、いわゆる「無任所」の国務大臣として、副総理になりました。役所の長を兼ねなかった副総理といえば、第3次中曽根内閣(1986年)の金丸信副総理まで遡ります。

 金丸氏の場合は、当時の自民党最大派閥だった竹下派の重鎮として、閣内にいるだけで政権が安定するという効果がありました。

 これに対し、民主党内の最大勢力は小沢一郎・元代表のグループですから、「反小沢」色の強い菅氏や岡田氏の副総理への起用は、党内を掌握する役回りを期待されてのことではなさそうです。

 では、いったい、どんな狙いの人事だったのでしょうか。

 一つの説明としては、菅氏が国家戦略、岡田氏が行政改革という「特命」を、副総理を兼務する形で担当することで、政権にとっての重要課題が何かを明らかにし、経験豊富な政治家が首相に代わってその課題に専念することで首相はそれ以外の懸案に全力を傾注できるという、象徴的、実務的な人事であったということは言えると思います。

 そして、首相がこうした課題を副総理に全面的に任せる姿勢を見せれば、首相の力を背景にした副総理の権力は相当に大きなものになるはずです。

 もっとも、岡田副総理のスタートダッシュは、肩に力が入ったのでしょうか、行政府の立場にあるのに立法府の議員定数の削減や歳費削減にまで踏み込んだ発言をしたり、消費税率の再々引き上げに言及したりと、少し先走りが過ぎるという批判が党内外から出ています。

 あくまでも、首相の政権運営を支える役目ですから、副総理が力を持ち過ぎたり、目立ち過ぎたり、特命以外の分野にまで乗り出して自らの政治信条や政策を前面に出したりするようだと、その内閣は、政権浮揚どころか、首相の求心力が低下することになりかねません。
(調査研究本部研究員 伊藤俊行)

2012年1月25日  読売新聞)

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