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『パンセ』 パスカル著

評・野家啓一(科学哲学者・東北大教授)

脆くて強い、考える葦

 三月十一日の大震災に際しては、私の自宅が仙台市若林区にあることから、数々のお見舞いの便りをいただいた。その中で胸底に響いた言葉が二つある。

 一つは、直後に友人から届いた葉書に引かれていた良寛の手紙の一節である。

 「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候。かしこ」

 思わず「うーん」と(うな)ってしまったが、ライフラインが途絶し、家具や書籍が散乱して寝る場所もない有様では、これほど達観するわけにもいかなかった。

 もう一つは、ひと月ほど()った頃、ある学会からの「事務局便り」に掲げられていたパスカルの『パンセ』の有名な一節である。

 「人間はひとくきの(あし)にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。」

 自然の猛威の前になすすべもない人間の(もろ)さを(えぐ)ったこの断章が、今回ほど心に()みたことはない。パスカルはこう続けている。

 「だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。」

 人間が「考える葦」たるゆえんである。パスカルは人間の悲惨と偉大の両極を見据えた哲学者であった。その背後には「そもそも自然のなかにおける人間というものは、いったい何なのだろう。無限に対しては虚無であり、虚無に対してはすべてであり、無とすべてとの中間である」という透徹した洞察が控えている。

 宇宙の波間に漂う、寄る辺なき「中間者」としての人間。そのことを忘れ、バベルの塔を築こうとする人間の傲慢は、自然から手ひどいしっぺ返しを食らう。その意味で、あらゆる天災は人災にほかならない。

 三月十一日の後で、『パンセ』の言葉は自然への畏敬と人間の尊厳について静かに、だが決然と私たちに語りかけてくれる。

 ◇Blaise Pascal=1623〜62年。フランスの数学者、物理学者、哲学者。パンセは「思想」の意で、死後に発見された断片的な草稿が編さんされた。

 中公文庫 1095円

2011年9月11日  読売新聞)

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