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完全復活誓い、今は走る

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汗を滴らせながら黙々とダッシュを繰り返す松井秀(7月24日、米フロリダ州タンパで)=清水健司撮影

 16年前の冬、ある日の午後、石川・星稜高野球部の仲間と共に病院を訪れた。腰の手術を受けたチームメートがベッドに横たわっている。見舞いの第一声は、確か「来てやったぞ。感謝しろ」なんて高飛車なセリフだった。

 このチームメートは、練習で松井秀の打球に飛び込み、腰の持病を悪化させた。「治ったら、また同じボールを打ってやるよ」と再び憎まれ口をたたく。場の空気を明るくするために、わざと軽薄な姿勢で接した。加えて、実は戸惑っていた。

 「けがでプレーできないって経験がなかったし、どうやって励ましたもんか、分かんないわけ」

 病室を後にする際、「無理すんな。でも、お前は必要だから早く出て来い」と告げた。ありきたりだな――。ひとり、苦笑した。

 メジャー4年目、左手首の骨折で心を磨く機会にも恵まれたと解釈する。

 「こんな状況に陥ってね、初めて理解できる人の気持ち、あると思ってんの。それこそ指導者になって、役立ちそうだよね」

 負傷して半月が過ぎたあたりか、日本から手紙が届いた。差出人は病魔と闘う少年だった。

 「自分で摘んだ四つ葉のクローバーを添えて『願いがかなうらしいので入れておきます』って。あとは『骨が折れたのに、そのままボールを二塁へ投げた松井選手を見て感動しました』とか『いつも松井選手に元気づけられています』とか、そんな内容だね」

 うれしくて、同じぐらい切なかった。「ホントは、こっちが勇気をあげなくちゃいけないんだよなあ」

 長年、つらい境遇に置かれた人々を励ましながら、一方で「みんなに伝わったかっていうと、正直、絶対にないと思う」。輝かしい世界に存在する己の言葉の説得力を、無邪気に信用するほど単純じゃない。

 32歳の夏、あらためて考えた。

 「そんでも常にメッセージを送り続けたい。たとえ一人だって、影響を受けてくれる可能性があるなら。復帰して、いいパフォーマンスを発揮することでね、ちょっとは(激励の効果が)大きくなるかもしんないって思ってんだよ」

 戦列に戻り、仮に痛みを覚えても、背番号「55」は間違いなく平然とした表情でプレーする。それは多分、演技なのだろうが、全身全霊の演技は現実を押しのけ、きっとファンにとっての“真実”になる。

 「おれの場合、だれかのために頑張るってことはない。ないんだけど……」

 壁を乗り越え、社会的な弱者や夢を追う子供たちに「結果として」希望を与えられたら、幸せは倍になるはず。だから、もっと強くなりたい。

 完璧(かんぺき)に悲壮感を排除して、ヤンキースタジアムのフィールドに立つと決めた。今は歯を食いしばるときだ。フロリダ州タンパ。猛烈な日差しの中、鬼のような形相で汗を滴らせ、芝の上を駆け回っている。(田中富士雄)

2006年8月2日  読売新聞)
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