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この日「ずっと待ってた」

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2Aトレントン・サンダーのユニホーム姿の松井秀(6日、清水健司撮影)

 “蚊帳の外”にいた4か月間で、ヤンキースはがっちりと首位の座を固め、プレーオフ進出へのカウントダウンを始めていた。

 復帰して求められる役割は指名打者か代打か。最後までベンチを温めるケースだって、きっと増える。メジャー合流を待ち焦がれていた背番号「55」は、レギュラーと控え選手の中間にあるような立場を予期して、しかし、「試合に出ない日でもチームの力になれる」と鼻をうごめかした。

 「準備している姿勢をね、常に示し続けるのが大事だと思う。例えば、真剣に練習することだとか。『そろそろ代打かな』って感じたら体を動かしておいて、いざ監督が振り返ったときに『おれは、とっくに用意できてます』みたいなね」

 腐らない。華々しく戦う機会が減っても、精神はねじれない。長い野球人生で作り上げた、哲学がある。

 松井秀喜、17歳、石川・星稜高2年生の秋。新しく主将に就任した後、同世代の仲間に「おれの家、泊まりに来いよ」と声をかけた。

 「一緒にメシ食って、近くの温泉に行って、ゲームやりながらバカ話して、そんだけなんだけどね」。恐らくスポットライトを浴びずに高校生活を終えるメンバーが、何人か含まれている。レギュラーの結束を強めるにとどまらず、そんな“補欠”の面々との触れ合いも重視した。

 「もしもね、たった一人であれ『不満分子』が現れると、チーム全体が悪い方へ向かっちゃう。直接的なことは言わない。野球の話も、ほとんどしない。でも、『みんなで頑張るんだぞ』という思いが伝わればいいなって、願ってた」

 巨人に所属した当時、出場するチャンスがないと決めつけてベンチ裏へ退き、雑談に興ずる一部の控え選手に、憤慨したことがある。「チームが白けちゃうんだよね」。あの年は確か、早々に優勝戦線から脱落した。

 「ホントに強い集団はね、目標を見つけにくい控えのプレーヤーも前向きな態度でいるんだよ。自分もさ、そうありたいと思ってんの」

 戦列を離れた悔しさ、打線に穴を開けた後ろめたさ、技術的なもどかしさ……。スラッガーの感情を虫眼鏡で細かく観察したら、多分、そこかしこにネガティブな“染み”がある。ファンなら、これらを消してやれる。簡単な作業だ。なりふり構わずチームを支えると誓った男に対し、ただ真っ白な心で声援を送ればいい。

 メジャー復帰が目前となった11日、ヤンキースタジアム。気持ちの高ぶりに任せて、バットを振り込んだ。負傷した途端、ひどく無愛想になってしまった天然芝が、照明塔が、バッターボックスが、今は親しげな姿に映る。

 「ずっと待ってた。この日が来ると信じて、やってきた。やっぱり、うれしいよね。うん、うれしいよ」

 12日のデビルレイズ戦。松井秀が124日ぶりに、本拠地のフィールドへ立つ。(田中富士雄)

2006年9月13日  読売新聞)
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