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力の源は喜びと悔しさ

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デビルレイズ戦、ベンチから試合を見る松井秀(中央)(23日、米フロリダ州で)=清水健司撮影

 観客のスタンディング・オベーションに覆われた空間を、松井秀が歩いていく。9月12日、メジャー復帰戦、第1打席。足取りは急ぐでも踏みしめるでもなく、無愛想なほどに淡々としていた。ファンに向けてヘルメットをかざしたのは「やらないと失礼かなって。それに、すごい歓声だったでしょ。ありがたいけど、あのまま続くと、集中できそうになかったの」。

 既に感慨は消えていた。

 「あえて言えば」と打ち明ける。「実感したのは試合直前。久しぶりにユニホームを着た瞬間、『戻ってきたなあ』ってね」

 自らの姿を鏡に映してみた。「当然。着こなしのチェックだよ」。正面、様になっている。首から下だけ回れ右。背中側も異常なしだ。「55」とあった。

 これより4か月前――。

 「診察台に寝てると、じょきじょき音が聞こえんの。『やめてくれよ。おれの大事なユニホームだよ』ってね、ショックだったな」

 負傷して病院に運び込まれ、治療のためにハサミで伝統のピンストライプを切り裂かれた。歯ぎしりするような思いを胸に、再起へ挑む戦いは始まった。

 野球人生、成長を促す力の源は喜びだったか、悔しさだったか。

 いったんは「おれの場合、どっちも同じぐらい。喜びはね、さらに高い目標を……」と語り出しておいて、なぜか突然、口をつぐむ。しばらく思案に暮れ、発言を修正した。

 「野球って、ほら、打っても3割ちょっとで精いっぱいでしょ。失敗の方が、はるかに多いわけじゃん。たくさん悔しさを味わってね、そこで腐らずに前を向く気持ちを育ててきたんじゃないかな」

 喜びに浸りながら心に火をつけるのは、たやすい。失意に襲われたとき、プレーヤーの本質が浮かび上がる。

 仮に今年、ワールドシリーズを制覇したら――。そんな記者の問いかけに、悔しさと付き合う“達人”は「間違いなく、うれしいよ。でも、あんまりプレーしてないっていう残念さも強くなる。複雑な気持ちが、きっと次へのパワーになると思うんだよね」と、すらすら言葉を並べた。

 10月のポストシーズン。ひとつ勝ち進むごとに喜びが増幅し、また悔しさも膨らんでいく。

 それでいい。

 記者からファンに提案。声援に感傷を添えるのは、ひとまず終わりにしよう。

 必要以上の称賛だって確かに美しいけれど、何だか寂しい。斜陽に照らされると、実体より大きな影が生まれるのに似ていて、どこか悲しい。だから、凡退を目の当たりにしたら遠慮なく落胆し、とことん悔しがらせてやればいい。

 松井秀に伝えたところ、「そう願いたいよ」と相好を崩した。「まだ『うまくなった』って断言はできないけど、体のキレはいい。スイングも、鋭い気がする。ダメならダメで、もっと頑張るだけだしね」と楽しげに笑った。(田中富士雄)

2006年9月13日  読売新聞)
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