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松井秀、日米通算2000本安打

記録よりフォア・ザ・チーム

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6回1死、日米通算2000本安打となる2塁打を放ち1塁を回る松井秀(6日)=金沢修撮影

マリナーズ0−5ヤンキース

 偉業達成の瞬間は、完全にかすんでしまった。

 六回一死、左翼への飛球を落下点に入った相手が逆光で捕れず、二塁に達した。「ヒットになると思った」という松井はベンチからの祝福を受け、ベースで照れ笑いを浮かべた。しかし、少し間があって記録は失策に。こんなバツの悪さに、衝撃的な出来事が続く。

 七回表、球団の抗議もあって記録が二塁打に訂正され、晴れて2000本安打を達成した。しかしその裏、攻撃前に電光掲示板で告げられたのはクレメンスの電撃復帰。スタンドからは、割れんばかりの拍手と大歓声が起きた。そんな客席の興奮が引いた二死後、松井の第4打席で伝えられた記録に、大きな歓声がわくはずもなかった。

 が、これもある意味、松井らしかった。彼は時に、進んで黒子に徹してきた。

 開幕前、トーリ監督は言った。「松井は準備の仕方を知っている。プロフェッショナルだ」。オープン戦で残した3割4分近い数字ではなく、練習中の姿勢にも感心したのだ。「打撃練習でさえ、試合を想定してやっていた」

 日本で年間50本塁打を記録した。フリー打撃で右翼席に放り込むことは、さほど難しいことではない。でも、それには「あまり意味がない」と言う。事実、この日も32スイング中ゼロ。

 理想の打撃を磨く貴重な時間にあえて、犠飛、引っ張る場面、エンドランと状況を想定したスイングも織り交ぜる。「勝つために、その場、その場で自分が何をすべきか」。打席での優先事項は一つ。特に世界屈指の強打者が並ぶヤンキースで、さらに自分に制約を課してきたのではないか。

 個人記録に執着していれば、打者の金字塔にはもっと早く到達できた。でも、「特別、目指したものじゃない」。松井が入った03年以降も、チームは地区優勝を続けている。多くの勝利に貢献してきた事実はかすまない。(小金沢智)

 ◆松井、記録訂正で2000本安打達成 六回一死走者なしの場面で、松井が放った飛球は左翼へ。左翼手のイバネスは打球に追いついていたが、逆光でボールの行方を見失い、捕球できなかった。このため、一度は左翼手の失策と記録されたが、七回のヤンキースの守備中に二塁打と訂正された。

 長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督「松井選手の日米通算2000本安打達成を心からお祝いしたいと思います。巨人軍に入団して間もないころからスイングスピードは速く、プロで2、3年プレーしている選手のような打球を打っていたのを忘れません。いつでも一心不乱に練習に打ち込む姿を今も思い出します。いつかは、メジャーの本塁打か打点のタイトルを取ってもらいたいと願っています」

 ソフトバンク・王監督「巨人、ヤンキースと日米を代表するチームでプレーすることは大変な重圧だったでしょう。その中で2000本安打を達成したことは、すごいの一言。これからも日米野球界の発展のために記録を伸ばし、ファンを喜ばせてほしい」

2007年5月7日  読売新聞)
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