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チームに貢献「一流」目指す

 サッカーのワールドカップ(W杯)が始まった。メジャーへの挑戦を始める前年の2002年、松井秀は日韓大会で日本―ロシア戦と、ブラジル―ドイツの決勝を観戦するため、横浜に足を運んでいる。「世界のトップを争う戦いを見るのはいい」。スポーツからクラシックのコンサートまで、「一流」に触れるのは好きだ。

 あくまで余暇の過ごし方なのだが、選手として得るものもある。一観客の立場で一流を経験することで、「人を感動させることの素晴らしさ」を改めて感じ、選手として自分もそうあろうと再認識できる。

 では、野球選手としての一流とは何か。「記録とか成績だけでは測れないものを持つこと」と、価値観の一端を披露する。

 やはり大切なのは日頃から繰り返す「チームの勝利のため」という姿勢だ。ヤンキースで、主将のジーターに巡り合った。日ごろから積極的に周囲に声をかけ、試合中も常に試合全体を見渡す目を持つ選手で「自分の実力を発揮するのは当然だが、何よりもチームの勝利を優先する気持ちが伝わってきた。尊敬に値する」。名外野手のウィリアムズや抑えのリベラ、左腕ペティットも「自分と価値観が同じ」と思える存在だった。

 まだ彼らに近づけたとは思わないが、1試合6打点などMVPを獲得した昨年のワールドシリーズは本望だった。「そこで勝つことが目標のチーム。一番大事なところで貢献できて、チームメートもお客さんもみんな喜んでくれた。それがうれしかった」

 新天地での今季、開幕当初は自分は好調だったが、チーム状態は今ひとつ。だが、5月の不調を経て迎えた6月は、1日から4日連続複数安打。チームも首位争いを演じている。ワールドシリーズには及ばないがなかなかの満足感がある。

 02年W杯決勝。2失点したドイツのGKカーンが試合後、ぼうぜんとゴールポストにもたれて座り込んでいたのを覚えている。カーンがその後どうしたかは知らない。ただ、「僕はああなってもその日のうちに感情的な悔しさは整理すると思う。たとえW杯の選手だったとしても」。自分はまだ一流とは思わないというが、さりとて「二流」の人間に言えることではない。(萱津節)

2010年6月15日  読売新聞)
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