「ことば」を考える
私たちは、ことばを使ってものを考え、人とコミュニケーションをとっています。ことばは人間にとって、なくてはならない存在です。
生まれたばかりの人間はことばを話すことはできませんが、発育の過程で、だれしも自由にことばを操り、自分の思っていることを表現することができるようになります。
しかし一方で、たとえば未知の外国語を新たに学習し、思うところを何でも表現できるようになるためには大きな労力が必要であることは、多くのみなさんも身をもって実感していることだろうとおもいます。
また、ふだんは何気なく使っていることばでも、ちょっとしたものの言い方が相手との間に行き違いをもたらし、トラブルに発展するという経験は、だれにでもあるでしょう。
ことばは、人間にとってごく身近な存在であり、なくてはならない存在です。それでありながら、時にはやっかいな存在として立ち現れるものでもあります。
今月は、ことばについて考えてみることにしましょう。
私たちの多くは、ふだん使っていることばが消えてしまう、ということを想定しないでしょう。しかし、地球上ではいくつものことばが消えている、という現実があります。
そうしたことの紹介もかねて、まずは次の記事を読んでみましょう。
問題
次の記事を読んで、感じたこと、考えたことを書きなさい。(1000字程度)
台湾…先住民語 消滅の危機
「テマーナ」(キャベツ)、「バーウン」(カボチャ)、「ウーシィグ」(トウガラシ)――。先住民のセデック族子弟ばかり84人が通う台湾中部南投県仁愛郷の合作国民小学校。付属幼稚園の園児13人がヘイサ・バサウ先生(38)に合わせて、セデック語の発音を練習する。
時折「日本語」も顔をのぞかせる。日本の植民統治時代に、日本語がそのまま吸収された例が多々あるためだ。例えば、ネギが「ネギ」、ナシは「ナシ」だ。「子どもたちにとってセデック語は、英語、日本語同様に『外国語』でしかない」と、ヘイサ先生は言う。
仁愛郷でセデック語をはじめとする先住民語教育を研究するキリスト教会牧師、クム・タパスさん(48)によると、戦後、国民党政権が台湾全土の学校で使用言語を中国語に限定する政策を実施した結果、先住民語が急速に衰退した。特に1971〜87年に生まれた先住民族の多くは、自民族語が話せない「失語」状態にあるという。
これに歯止めをかけようと、台湾当局が先住民教育に各民族の言語学習を取り入れたのは、2001年9月から。14民族38種類の言語があり、5万人の子どもがそれぞれ週1回50分間の授業を受けている。
しかし、悩みは深い。学校で学んでも、家庭で話すのは中国語。クムさんは「社会全体が連携して実践の場を作らなければ、定着しない。多くの先住民語は近く消滅する」と指摘する。
打つ手がないまま、「いずれなくなるにしても、民族特有の言語に触れることで、民族としての自尊心を養うことができる」(ヘイサ先生)との信念だけが、先住民語教育の現場を支えている。(台北 源一秀)
(読売新聞2011年11月17日(木))
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