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具体的な目標設定を(1)

日本人はマネジメントが苦手

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岡本薫(おかもと・かおる) 1955年生まれ。東京大学理学部を卒業し、文部省入省。OECD科学技術政策課研究員・教育研究革新センター研究員、文部省学習情報課長などを経て、2006年1月から政策研究大学院大学教授。専門であるコロロジー(地域地理学)の視点から、日本人のマネジメントの欠陥・改善策について研究・提言をしている。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『世間さまが許さない!―「日本的モラリズム」対「自由と民主主義」』(ちくま新書)など

 母方の祖父は、軍の命令を断ったため報復召集され、インパールに送られて死にました。母からその話を何度も聞かされた私は、5歳のときからインパール作戦を知っていました。大人になって作戦のことを調べたのですが、当時、日本軍のマネジメントの研究自体がタブーでした。日本軍はこうして負けた、こうすれば勝てたと言うと、戦争を賛美するのか、と言われたのです。

 これを打ち破ったのが、防衛研究所の戸部良一先生のグループによる『失敗の本質』です。読めば読むほど、「何だ、こいつらも役人じゃないか」と思いました。ノモンハン事件で、ソ連の戦車が国境を越えてきたときに、大本営が関東軍に「適切に対処せよ」という命令を出している。文部省が教育委員会に出す文書の最後にも必ずつく言葉です。戦車が殺到しているときに司令官は「撃つんですか、撃たないんですか」と思ったはずです。というような話が『失敗の本質』には満載されている。役人は戦争から学ばないからだめだと思いました。

 民間の勉強会でこの話をしたら、「私は、うちの会社のことが書いてあるなと思いながら読みました」と言われました。民間は違うと思っていたのですが、カルロス・ゴーンさんの本を読んで納得しました。日産社内で会議をやるとき、言葉の定義があいまいだという。教育の世界の「生きる力」と同じです。車が売れなくなった原因を特定せず、いたずらに精神主義的な命令を出していた。予測と希望がゴッチャ。戦争中も同じでした。末端で米軍が来そうだという情報を得ても、大本営に伝わる途中で「来ない」という情報に変わってしまう。軍人だから、役人だから、ではなく、日本人はマネジメントが苦手なのかもしれないと思ったのです。

 役人時代、部下には「戦争の本を読みなさい。マネジメントの失敗がわかる」と言っていました。若いころ、上司から「AやってBやってCやれ」と言われ、「Bができなかった場合、Cに行けませんが、どうしたらいいでしょう」と聞くと、「そうならないようにやれ」と怒られました。私が課長になり、部下が「AやってBやってCやろうと思います」と言ってきたとき、「Bができなかった場合、Cに行けないけど、どうする?」と聞きました。こういうとき、マジメな文部官僚の95%は「そうならないように頑張ります!」と言った。「キミね、それで戦争に負けたんだよ」と言うわけです。

 マネジメントでPDCAということが言われますが、日本人はプランで既に失敗するので、Pの段階を少し分けて考えないといけない。『Ph・P手法によるマネジメントプロセス分析』(商事法務)で私が発案・提言したように、まず「現状」を把握し、問題があればその「原因」を特定する。次に「目標」を設定し「手段」を考える。組織でやるときには「集団意思形成」も要る。手段を実行すると結果が出るから「結果と目標の比較」(いわゆる評価)をする。この七つのステップで考えることを提案しています。

 これはイデオロギーとは無関係にあらゆるマネジメントに適用できます。政策研究大学院大学の学生はほぼ全員が公務員で、7割が外国人です。学生には「君たちがテロリストになる場合でも役立つことを教える」と言っています。「目標」が、ある倫理観から見て正しいかどうかと、マネジメントがうまくいっているかどうかは、別問題なのですが、日本では常に混同されます。

「現状把握」が不十分なままの教育論議

 第1ステップの「現状把握」について、日本の教育論議のおかしい点は、イメージに流されて実態=現状を見ないことです。いわゆるゆとり教育に向かっていた二十数年前、世の中では「日本の教育は詰め込み、暗記中心。子供たちは思考力、創造性に劣る」と言われていた。科学的証拠はないのに、みんなそう思い込み、文部省も流された。米国が学力低下にあえいでいた1980年代、『ニューズウィーク』は特集で「理科教育は日本に学べ」と書きました。米国の理科教育はむしろ暗記中心だが、日本の小学校の理科教育は科学的思考力をよく養っていると米国の専門家は見たのです。TIMSSという試験をしているIEA(国際教育到達度評価学会)は、過去数十年間、日本の小学校の算数と理科の教え方は、思考力養成の点で世界最高水準だと言っています。

 私は今も同じ過ちを犯しつつあると思います。「必要な学力が下がったのか?」を確認しないで大騒ぎをしている。20年前は、「文部省が不必要なことを子供に詰め込んでいる」と言われていました。その「不必要な部分」について学力が下がっているなら問題ないでしょう。文部省が学習内容を3割削減すると言ったときは、「何が必要・不要かを議論する絶好のチャンスだったのに、ほとんど誰も、具体的な議論(例えば台形の面積の公式を教えることの是非)をしなかったではないですか。

 人口動態を踏まえた議論がないのも不思議です。学力が下がったと騒ぎ出したのは大学の先生ですが、大学は学生を選べる。選んだ学生に文句を言っている。「医学部に来るのに、高校で生物を履修していない学生がいる」と言うなら入れなければいい。日本の18歳人口のピークは1992年で200万人、これが2009年には120万人。17年で40%減です。「東大生の学力が下がったんじゃない。昔なら東大に来なかったやつが来ている」と言うのは、そのとおり。大学生の犯罪増加は、犯罪者も大学に行くようになったということです。

 18歳人口の急減は大半の先進国が80年代に経験しました。どう乗り切るか、1981年の「OECD高等教育政府間会議」で結論が出ています。定員を埋めたいなら、学力の低い子も入れて、大学が補習をやる。これが米国流です。高等教育の受益者は個人と考え、授業料は取るが奨学金を用意する。得た能力は自分のために使う権利がある。欧州は当時の大学進学率が10%程度で、社会のエリートを養っていた。高等教育の受益者は社会全体と考え、授業料はただ。そのかわり卒業後は社会のために尽くす。彼らの学力が下がったら社会全体が困るので、学力維持のために定員を減らし、それを留学生と社会人で穴埋めした。それで「生涯学習」と言い始めたのです。日本は高等教育の受益者を特定していない。

 日本の経済成長の背景には教育があったといいますが、具体的には、戦後の長期間、工学部の卒業生数が実数で米国を上回り、中小企業にも工学士がいるのが強みだった。将来、何でもかんでも米国に対抗しようとするのは、国力を考えない建艦競争と同じです。限られた人数をどこに割り振るかの戦略=選択が必要です。

2009年11月27日  読売新聞)
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