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蘇る記憶 懐かしの車たち

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富士重工・スバル360

1964年5月14日朝刊

 
スバル360 デラックス39万円

  • ニュースから
    • 聖火リレー走者の選考方法 中央区は身長で制限
       中央、港両区の聖火リレー走者選考方法が決まった。いずれも推薦方式をとることになり、(中略)この2区と千代田区の3区が推薦、台東、文京両区が公募と決まった。
       中央区の走者は正、副走者、随走者あわせて46人。(中略)同区では、体形を整えるため、身長が中学生1m65くらい、高校1m65〜1m70、高校女子1m60〜1m65の範囲内で選考することにしている。<都内中央版から>
  • 広告から
    • ナショナル自動保温炊飯器 1リットル炊き 3350円
    • 旺文社 「高一時代」「高二時代」「蛍雪時代」 各160円
    • 学研 「高1コース」「高2コース」各160円 「高3コース」150円
 
1964年6月26日朝刊

 
1964年6月25日夕刊

 第2回日本グランプリ(400cc以下クラス)で優勝したことを伝える「スバル360」の広告。「最高の性能」という言葉が3か所も使われている。

 スバル360は、1950年代に当時の通産省が打ち出した乗用車の普及促進策に沿って開発された車で、飛行機メーカーからスタートした富士重工業にとって初の量産車だった。「てんとう虫」の愛称で親しまれ、58年の発売から70年の製造中止までに39万2000台が販売された。

 60年ごろまでの自動車の紙面広告は、車体のイラストを使った1段か2段の小さなものが多かったが、この広告のころにはスペースが広がり大きな写真も使われるようになった。

自動車の話題
“富士を巻く”車の列 山腹、警笛のウズ

 山に登ったのは車だった。単車やスポーツカーが風を切り、ベンツが追うようにスピードを上げていった――。快晴のおととい日曜日から、きのう月曜日にかけて、さる4月開通した有料登山道路「富士スバルライン」は車でいっぱい。驚いたのは、入り口の「船津ゲート」手前のどうにもならない車の行列、終点の「雲と地のわかれ目」富士山5合目の坂道はまた行列、エンストしている車、ここでは早く駐車場に入れたい心理にかられてか、いらだたしいクラクションの連鎖反応、標高2400mの中腹は東京都心に輪をかけたラッシュと騒々しさ。(6月9日朝刊)

自動車業界 値下げ競争再燃

 トヨタ自動車販売は30日、乗用車を中心に12車種について6月1日から1〜4万円の一斉値下げを実施すると発表したが、これにともない日産、プリンスも一両日中に値下げを実施する方針であり、自動車業界の値下げ競争・販売競争は一段とはげしくなる見通しである。(5月31日朝刊)

 
「懐かしの車たち」皆さんの思い




    

昭和42年当時、5000円位で中古のスバルが買えました。高校生の私も購入し、路上駐車で友人と毎日改造(ピストンの軽量化等)し、第三京浜でスピードテストしていました。懐かしい思い出です。(60歳・南国さん)

    
男性



    

高校1年の最後に軽免許取得。親に初めて買ってもらった車です。通学に利用して毎日乗りました。あちこちにドライブに行ったり当時としては軽自動車ながらタフな車でした。当時としては贅沢な話で、どら息子でした。普通免許取得の大学まで乗りました。(62歳・524四代目さん)

    
男性


    

座布団を運転席に重ねて高さを調整して、生まれて初めて「運転」した車です。幼稚園時代の数少ない記憶の中ではNo.1の輝きです。武蔵野市に住んでいた関係か、近所には富士重工に勤める家が多かったのでしょう。当時は、スバル360=自動車のような印象がありました。(48歳・男性)

    
男性


「懐かしの車たち」では、ご覧になりたい車の広告を募集します。
また、その車への思いをお寄せください。

 
2010年8月3日  読売新聞)
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