「漫画担当」記者となる(1)
文化部に配属されて2年目だったろうか、朝夕刊の漫画の担当となった。担当といっても、取り立てての仕事があるわけではない。時折、作家の所に顔を出し、あとは朝刊ならほぼ毎日、夕刊はウイークデーに届けられる漫画原稿をチェックし、提稿するだけの仕事である。当時は朝刊が植田まさしさん、夕刊が鈴木義司さんだった。
「コボちゃん」と「サンワリ君」を読者に届ける前に読めるという役得はあったが、まったく苦労がなかったわけでもない。特に、「サンワリ君」は社会風刺の側面もあるため、時には、読者からのクレームもあった。どんな漫画だったかを具体的に示すと誤解もあるので、それについては触れないが、某日、ある団体から、「あの漫画はどこが面白いんですか。抗議したい」と強硬な電話があった。こちらは、
鈴木さんには、興奮すると少し早口になるという癖がある。その時も少し早口で、「どこが悪いのか、わかりませんね」とやや気色ばんだ感じだった。「いや、私だけでなく、上司も問題ないと判断したんですから」というと、「あれだって、かなり抑えたんだけどねぇ」とぽつり。当時、鈴木さんは、雑誌で社会風刺の一コマも連載していた。雑誌の場合は、意識的に批判承知で風刺の針も鋭く磨いてはいたものの、膨大な読者を持つ新聞漫画の場合は、そうもいかない。針の先も少しは「丸い」という感覚もあったのだろう。それだけに、クレームにはなかなか納得できなかったのかもしれない。
そうした作家の苦労を間近でうかがうことができたのは、やはり担当者冥利というものだろう。そんなことで、鈴木さんには、公私ともにお世話になった。何度も酒席のご相伴にもあずかったし、私的な旅行を楽しんだこともある。
ある日、仕事場を訪ねると、業界では美人秘書として評判だったAさんが、「先生、ご機嫌ですよ」とささやいた。仕事場の壁を見ると、「祝 宝くじ当選」と書いた張り紙がある。聞くと、30万円当たったという。「ごちそうするからね」とうれしげ。
ところがである。そのことをあちこちで吹聴したため、そこここでごちそうということになり、賞金額をはるかにオーバーしてしまったという。「とんだ出費になっちゃった」と鈴木さん。そんな話も、いい思い出だ。
吉弘幸介:読売新聞東京本社記者。文化部で10年余マンガなどを担当した。
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