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(4)高橋大斗(ノルディック複合)…エースの重圧 消えて身軽に

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2月の世界選手権で複合個人のジャンプを終えた高橋大斗(チェコ・リベレツで、山本高裕撮影)

 今年2月、チェコ・リベレツの世界選手権で、複合団体の日本は14年ぶりに世界一の座に返り咲いた。だが、4人のメンバーの中にソルトレーク、トリノ五輪と、2大会連続でエースとして戦った高橋の名はなかった。

 「別に悔しさは感じなかった。僕はあまり、そういう感情がない。逆に気が楽になりました」。世界選手権をきっかけに、ベテランは変わった。

 1990年代の全盛期を築いた荻原健司らの引退後、一人で複合ニッポンを背負ってきた。2006年のトリノ五輪は、ワールドカップ(W杯)2勝の実績から「複合復活のエース」として期待された。ほかに有力選手がおらず、周囲は高橋に注目した。「重圧につぶされた感じで、嫌な思い出です」。個人スプリントで15位、個人も腰痛で棄権に終わった。

 低迷期を一人で支えるつらさ。本人にしか分からない葛藤(かっとう)もある。世界選手権で、若い4人が表彰台の真ん中に立った瞬間、悔しさよりも重圧が消える解放感を感じた。「ようやく、健司さんたちの鎖から解放された感じ……。今にして思えば、背負う必要のないものを背負っていた。そんな気がします」

 意識の変化は、まず練習姿勢に表れた。

 以前は、距離の練習が嫌いだった。練習予定表を見て、ハードなメニューがある前日は、翌日に備えて練習の質を落とした。今季は予定表を見ない。先のことは考えず、その瞬間の練習だけに集中する。「苦痛だった練習が、苦痛でなくなってきた」。距離を得意とする若手にも、何とかついていけるようになった。

 夏場には、札幌にある30メートル級程度の小さなジャンプ台で練習した。だれもいない子供用の台に足を踏み入れるのは中学3年以来。たった一人で三十数本。「小さな台だと自分に何が足りないか分かる。もっともっと飛びたかった」。純ジャンプの大会で優勝したこともある実力者が、もう一度、足元を見つめ直した。

 3度目にして、重圧を感じることがない初めての五輪――。「やっと、自分らしく戦える」。静かに言い切った。(三橋信)

1990年代の全盛期
 日本のノルディック複合は92年アルベールビル、94年リレハンメルと団体で五輪2連覇。93、95年の世界選手権も制した。エース荻原健司は92年から3季連続でW杯年間王者。93、97年の世界選手権は個人も制覇。前半の飛躍でリードし、後半の距離で逃げ切る必勝パターンを誇ったが、長野五輪以降は、距離重視のルール変更などで欧州勢に後れを取っている。
2009年11月27日  読売新聞)


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