男もすなる「少女マンガ」をめぐる冒険(4)
マンガに「どっぷり」だった60年代、少女マンガとまったく無縁だったかというと、実はそうでもない。わたなべまさこさんや水野英子さん、牧美也子さんたちのマンガも、貸本屋という強い味方のおかげで、それなりのお付き合いがあった。
だが、それは公然と口にできない秘事。女の子のマンガの読者なんてばれたら、からかわれるのは目にみえている。というわけで、ちばてつやさんの「1・2・3と4・5・ロク」なんてマンガも、読んでるなんてことは、「ないしょ、ないしょ」であった。
しかし、わたなべ・水野・牧という、一時期の少女マンガの代表的作家の作品に、少年であったころに触れえたのは幸運だったといってもいいだろう。
またもや、米沢嘉博氏の「戦後少女マンガ史」の受け売りで恐縮だが、氏は、彼女らに対して、次のような的確な評価を与えている。
「誰がなんといおうと、少女マンガの基本路線は水野英子、牧美也子、わたなべまさこの三人によって生み出されたことはまちがいないのである」と。
水野さんは、あの伝説の「トキワ荘」出身の唯一の女性作家であり、同時に手塚治虫のファンタジー路線を受け継ぎ、それを少女マンガの柱の一つにした作家である。また、わたなべさんは、代表作「ガラスの城」を始め、その多彩な作風で、少女マンガの大衆路線を確立した功労者だ。そして、牧さんは、スクリーントーンの独特な使用などのテクニカルな面での先駆者でもあり、少女マンガの一つの流れとなった生活感や内面の描写に力を発揮した存在である。
それだけに記者になって、この3人の作家に会う機会を持てたときは、ちょっとした喜びに浸ったものだった。わたなべ、水野両氏とは、ほんの顔つなぎ程度だったが、牧さんには、いろいろとお付き合いいただいた。
「子供のころから読者でした」というと、「あらっ、うれしいわ」と笑顔で応えてもらったのがきっかけだった。以来、機会あるごとに、何かと気をかけてもらうようになった。牧さんが「読売国際漫画大賞」選考委員だったときには、「お元気そうね」と声をかけてもいただいたし、ご主人である松本零士さんの取材の際にはわざわざ同席して、援護ももらうという風だった。そんなご恩のある牧さんには、このところ、とんとご無沙汰をしている。この欄を借りて、「すみません」とおわびをさせてください。もし、この小文がお目にとまれば、の話ではあるが。
吉弘幸介:元読売新聞東京本社記者。文化部で10年余マンガなどを担当した。
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