ニュース 速報 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
現在位置は
です

ニュース

本文です

荒川「続けて良かった」、普通に就職計画も

 【トリノ=小島剛】待ちに待ったメダルは、まばゆいばかりの金色に輝いていた。

 23日(日本時間24日早朝)のトリノ五輪・女子フィギュアスケート。荒川静香選手(24)がフリーでほぼ完璧(かんぺき)な演技を見せ、逆転で銀盤の女王の座をつかんだ。フィギュアでは日本人初の快挙に、荒川選手は「本当にびっくりした」と何度も繰り返した。

 一度は引退を決意しながら、再び目指した五輪の舞台。低迷期を支えた両親は、万感の思いで娘を見つめていた。不振続きの日本選手団にもたらされたメダル第1号に日本中が沸いた。

 荒川選手は2004年3月の早大卒業後は、普通の学生と同じように就職することを希望していた。「スケート以外の世界ものぞいてみたい」。在学中には、コンビニエンスストアやファストフード店でアルバイトをし、テレビ局の就職試験の申し込みもした。

 だが、周囲の期待は思ったより大きく、競技生活からなかなか離れられない。卒業間際に開かれたドイツの世界選手権では日本人3人目の優勝を果たし、その期待はさらに膨らんでいた。

 不安定な気持ちのまま、卒業後もフィギュアを続けた。しかし、その年の12月、久しぶりに仙台市青葉区に住む両親に会い、「もうスケートをやめようと思う」と切り出した。父親の晃市(こういち)さん(53)は、「自分で決めることだから構わないよ」と言いながらも、「だけど、静香がスケートをしている姿をもっと見たいな」と話した。

 優勝した04年の世界選手権の応援に晃市さんは行けなかった。その大会のビデオを自宅で毎日のように見て、テープはすり切れかかっていたことを知っていた。

 トリノ五輪での活躍を期待する、そんな父親の気持ちを思って荒川選手は、競技をなお続けた。しかし、一度切れかけた集中力を再び高めるには時間がかかった。けがや靴が壊れたことも重なり、05年の世界選手権は9位。前年に世界女王に輝き、「目標を達成した」との思いと、周囲の期待とのギャップにさらに苦しんだ。

 その姿が痛々しく、母親の佐知さん(51)は、おもわず「もうやめてもいいよ」と声を掛けた。すると、「ここでやめる訳にはいかないでしょ」と荒川選手。佐知さんは、トリノ五輪に向けて、娘が心を切り替えたと感じた。

 金メダル決定後の会見で、荒川選手は「続けてきたことは本当に良かった」。そして、「続けられるよう道を作ってくれた人、周囲の人に感謝したい」とも述べた。

 観客席の晃市さんは、表彰台に立つ娘の姿を見て、「静香は自分の満足する演技をした。それが良かった」とたたえた。寄り添っていた佐知さんは、「夫はホテルに帰った途端に泣き出すと思います」と笑った。

2006年2月24日13時21分  読売新聞)
現在位置は
です