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[挑む]女子サッカー 宮間あや(26)岡山湯郷

(上)代表の絆 胸に刻む

 泣きじゃくるFW永里優季(24)(ポツダム)に駆け寄った。肩を抱き、頭からタオルを覆いかぶせて励ました。「まだ2試合あるよ」

 7月9日、女子ワールドカップ(W杯)準々決勝で日本がドイツを破った直後だった。仲間たちが喜びに沸く傍らで、得点できず、途中交代を命じられた悔しさを隠しきれなかった後輩を「独りぼっちにしたくなかった」。

 2か月後のロンドン五輪アジア最終予選では、献身的にプレーする永里優の姿があった。最終戦となった中国戦の後、不出来を悔やんで涙する後輩FWの高瀬愛実(めぐみ)(20)(INAC)を、今度は永里優がタオルをかぶせて慰めた。そんな場面を見ると、うれしくなった。「私も(W杯で)救われた経験があるから」。永里優が後輩に優しく出来た訳を聞いた時は、照れくさかったけれど――。

 永里優と同じく「救われた」と思える経験がある。千葉・幕張総合高の2年生だった2001年、名門の日テレ・ベレーザに所属していたが、自宅から練習場まで3時間半もかかる環境に疲れ切って退団した。サッカーをやめることも少しだけ考えた。

 この時、小学5年生から指導を受けてきた元日本代表、本田美登里(46)から手を差しのべられた。日本サッカー協会職員から新設クラブ、岡山湯郷監督への転身が決まった本田は言った。「サッカーを離れちゃダメ。ウチに(選手)登録だけでもすればいい」

 その後は平日は高校のサッカー部で男子と練習し、週末は岡山湯郷に合流する日々が続いた。卒業後はチームの本拠地・美作市に移り、本田の下で看板選手となり、日本代表の主力に成長した。

 互いに気が強く、本田とはケンカもした。チームを10年間指揮した本田が昨年で退任するまでは「あまりに身近な存在」だったから、感謝の気持ちを改めて口にするのもはばかられた。少し素直になれた今は言える。

 「W杯で優勝し、サッカー人生を振り返った時に、本田さんと出会っていなければ、ここまで来られなかったと思った」

 本田から、自分を経て、永里優や高瀬へとつながる、日本代表の絆。そこへ思いをはせる時、静かに感謝の念が湧く。「サッカーは一人じゃできない」と胸に刻んで、五輪に向かう。(敬称略)

 ◇みやま・あや 1985年、千葉県生まれ。MF。2003年に代表初選出。両足から正確なパスとシュートを繰り出し、今夏のW杯では2得点を決めるなど、優勝に貢献した。09、10年には、米国の女子リーグでもプレーした。代表通算104試合に出場し、26得点。1メートル57、50キロ。

2011年11月9日  読売新聞)

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