ソ連「五輪はブルジョア」
日本とドイツが出場できなかった1948年大会に、招待状が送られたにもかかわらず、参加しなかった国がある。ソ連だ。
帝政ロシア時代に選手を派遣したことはあったが、17年のロシア革命以降は、「五輪はブルジョアの大会」として不参加。第2次大戦後に陸上などで国際大会復帰は果たしたが、ロンドン五輪は参加しなかった。英国は「鉄のカーテン」発言で共産主義への警戒を示した、首相だったチャーチルのおひざ元だが、それが不参加の理由だったかは分からない。
4年後のヘルシンキ大会に出場したソ連は、米国の40個に次ぐ22個の金メダルを獲得。「鬼に金棒、小野に鉄棒」と言われた体操の小野喬さんは、初めて見たソ連選手を、「見たこともない技を簡単にこなした。当分、追いつけないと思った」と振り返っている。以後、ソ連は米国と並ぶスポーツ大国として、五輪を席巻することになる。
(2012年4月24日 読売新聞)
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