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オーパスワン・ワイナリー(1)

Opus One Winery(1)

元祖カルトワイン 2人の男の情熱の産物

カリフォルニアの青い空に映えるモダンなワイナリー
門からのアプローチも長い
ワイナリーから周辺の畑を臨む。向こうにはマヤカマス山脈
2人の横顔をモチーフにしたラベル

 日本で最も有名なカリフォルニアワインは、オーパスワンだろう。

 東京・銀座の高級クラブに行くと、ボルドーの格付けシャトーがないこともあるが、オーパスワンだけは必ず置いてある。ブランド性があるからだろう。ムートン・ロートシルトやマルゴーという名前は覚えにくいし、ヴィンテージのばらつきもある。オーパスワンは名前が覚えやすい。品質も安定している。もちろん、新宿のパーク・ハイアット・ホテルのメインダイニング「ニューヨーク・グリル」のようなハイエンド・レストランにもオンリストされている。

 表面的に受けているだけではない。

 オーパスワンは元祖カルトワインなのだ。カルトワインに明確な定義はないが、いくつかの特色がある。生産量が少ない。大半はメーリングリストを通じて販売され、入手が困難。オークションや小売店でプレミアをつけて販売される。価格は1本数百ドルから1000ドルを超える。

 カルトワインはバブルの産物だ。1990年代後半のITバブルの時期に生まれた。ITバブルとは日本の造語で、米国では「ドットコム・バブル」という。景気が上向いていた時期に登場した。生みの親の一人である評論家ロバート・パーカーが、スクリーミング・イーグル1992やハーラン・エステート1991に、満点近い得点を与えたのが、1995年12月発行のワイン・アドヴォケイトだ。その後、全米各地のオークションで、高額落札されるようになった。

 裕福になると、ラグジュアリー・グッズ、美食、クルマ、ファーストクラスの移動などに、お金をかけるようになる。物質文明社会に生きる人間の性だ。Facebookのマーク・ザッカーバーグのように、モノに関心のないIT長者も多い。だが、巨額のストック・オプションを手にすれば、レア・ワインが欲しくなる。その気持ちはわかる。

 シリコンヴァレーとナパヴァレーはそもそも、サンフランシスコを軸としたベイエリアの一部。距離もさほど遠くない。ワインカルチャーが根付いている。

 だが、オーパスワンが生まれたのは、ITバブルのはるか前だ。ワイナリーの設立は1979年。シャトー・ムートン・ロートシルトのバロン・フィリップ・ド・ロートシルトと、カリフォルニアワインの父と言われたロバート・モンダヴィの提携によって生まれた。米仏の巨人が手を組んだ。あまりに有名な物語だ。

 2人が出会ったのは1970年。ムートンは当時、2級格付けだった。1級に昇格したのは1973年。バロンは情熱的な経営者だった。昇格へのロビー活動も、カリフォルニアのワイナリーとの提携も、本能と戦略に基づく行動だったのだろうう。カリフォルニアワインの価値が世界に認められたのは1976年のパリ試飲会。そう考えると、間違いなく先見の明があった。

 バロンは1978年に、モンダヴィをボルドーに招待。2人は1時間足らずでジョイント・ヴェンチャーの構想をまとめた。オーパスワンのラベルは2人の横顔をモチーフにしている。企業ではなく、2人の男の情熱が生んだ産物。その出発点を明確にしている。

 ムートンのルシアン・シアーノとロバートの息子ティム・モンダヴィ。2人のワインメーカーが、協力して初ヴィテージを造ったのが79年。生産量はわずか2000ケース。小売り価格は50ドルだった。ハーラン・エステートが500ドルでメーリングリストで販売される現在からすると、安く思えるかもしれないが、当時としては最も高価なカリフォルニアワインだった。

 81年には、1ケースがナパヴァレー・ヴィントナーズ・オークションで、2万4000ドルで落札された。1本当たり2000ドル。記録的な高値だった。1982年の1級シャトーのプリムール価格が100ドル以下だったことを考えると、極めて高価。プロ向けのこのオークションは、その時代の人気ワインに脚光が当たる。当時はオーパスワンがスターだった。

 今では、どこでも手に入るが、当時の2000ケースはかなり少ない。オーパスワンを元祖カルトワインと呼ぶゆえんだ。

 2011年9月訪問

 テキスト&フォト 山本昭彦

2012年5月11日  読売新聞)
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