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正月休み返上 自動車工場フル稼働


トヨタ自動車挙母工場(1959年に本社工場と改称)でのクラウン生産ライン(1958年1月3日)

 1956年から57年半ばにかけて、わが国の経済は、「神武以来の好況」といわれるほどの活況で、自動車生産も画期的に増加しました。

 写真は55年末に新設されたループ式コンベヤーで、生産能力に一層の向上をもたらしました。

組み立て工場前で出荷を待つ初代クラウン(1958年1月3日)

 右側の写真。正月休みを返上して生産された完成車両を、屋外ヤードに仮置きしていたのでしょうか。出荷を前に、洗車をしています。当時の完成車の輸送は赤ナンバーをつけた自走が主流でした。現在のようなキャリアカーによる完成車の輸送は60年代に入ってから行われるようになりました。

 初代クラウンは55年1月の発売。当時のわが国の自動車各社は、欧米メーカーと技術提携をしながら技術を向上させていました。その中で、クラウンは純国産車として成功を収め、広くわが国の産業界に勇気と自信を与えました。

 当時の乗用車のほとんどがタクシーに使われていましたが、初代クラウンはシャシー設計から純然たる自家用車として設計されています。

 発売当時の価格は101万円です。大卒初任給が1万円強だった当時、クラウンを個人用として購入できる人はごくわずかで、大半は社用車や公用車、ハイヤー、タクシーとして使われていました。

 これらの写真が撮影された年の翌年、59年9月には国内初の乗用車専用工場としてトヨタ自動車「元町工場」が完成しました。

2012年1月15日  読売新聞)
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