ハーラン・エステート Harlan Estate(4)
偉大なメドックに負けない ハーランの91カリフォルニアワインは立派に熟成する。1976年のパリ試飲会。30年後のリターンマッチでも、ナパヴァレーのワインがボルドー勢を相手に、大勝した事実が示している。といっても、それを実感する機会は少ない。 ハーラン・エステートのテイスティング・ルームで実感する幸運に恵まれた。ナパヴァレーの赤ワインが、ボルドーに負けず劣らず熟成するポテンシャルがあることを。木の感触を生かした暖かみのある部屋で、支配人ドン・ウィーヴァーは自ら開けてくれた。1991年のハーランを。コルクが途中で折れたが、何とか持ちこたえてリカバー。慎重にデカンティングしてくれた。 エッジにレンガがにじむが、まだ若々しい。グラスに鼻を突っ込むだけで、小石のようなミネラル感がバリバリと。グラスを回すと、カシスのリキュール、エスプレッソ、森の下草の香り。 「素晴らしいスーボワの香りだ」 私が思わず声を発すると、ウィーヴァーは 「確かに、フォレスト・フロアの香りがする」と。 森の下草を英語にすれば、「フォレスト・フロア」。当たり前だ。 私が感動したのは、比類なきバランス感だ。タンニンがこなれ、酸を残し、余韻は太く続く。アルコール度のラベル表示は13・5%。14%を超さないと、自然に体にしみこんでいく。このころは現在のように完熟しなかったのだろうか。新しいヴィンテージより好感が持てる。ブラインドで試飲したら、とても20年を経たナパヴァレーとは思えないだろう。 「サンジュリアンからポイヤックのボルドーを思わせる。90年のレオヴィル・ラス・カーズを思い出した。そう言われたら、すぐに信じるだろう。重厚なラトゥールのニュアンスにも似ている」 「そうか。ありがとう」とほほえむウィーヴァー。素直に喜んでくれた。 この話には後日談がある。 ホテルに戻って、資料を整理していたら、ロバート・パーカーがこの91年を紹介したくだりがあった。その本には、91年を90年と89年のトップボルドーと一緒にブラインド試飲したとある。90年のラトゥール、マルゴー、ペトリュスに対しても、印象的な高得点をとったとあった。 ハーランのワインには、「20〜30年の熟成力がある」とパーカーは書いている。それも間違いないと確信した。古いボルドーを飲んだ私の経験からして、91年はさらに10年は熟成する能力があるように思える。 それにしても、樹齢わずか6年のワインがなぜここまで熟成するのか? 「ボルドーとは違って、果実がよく熟すから」 それがウィーヴァーの答えだった。 実は91年をいきなり飲んだわけではない。部屋に入った瞬間に、杉やコーヒーのいい香りがした。デカンターに入れた2007年の香りだった。2時間以上、空気に触れさせているという。 大ぶりのグラスを回すと、鉛筆の芯、墨、カシス、チョコレートの香りが立ち上がる。こちらはアルコール度が14・5%。果実味がたっぷりとあふれている段階だ。 テイスティングルームには、経済書やワイン書に交じって、ビル・ハーランの家族の写真もあった。利発そうな息子が写っている。サンフランシスコのインターネット企業に勤めているという。 「エステートを継ぐのだろうか」 「まだわからない」 冷徹な経営者でもあるハーランのことだ。能力がなければ、単に世襲させるということもないだろう。だが、そうして家族経営が続いていけば、ハーランはやがて家族所有の偉大なエステートになる。ヨーロッパのワイナリーが築いてきた歴史と同じ道を踏み出すのだ。 (2012年2月8日 読売新聞)
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