「漫画担当」記者となる(4)
文化部に配属されてまもなくのころだろうか。知人の紹介で某少年マンガ雑誌の編集者と飲むことになった。5〜6歳ほど年長の男性、だったと思う。こちらは、まだ文化部に入り立ての青二才。だが、マンガに対してはそれなりの自負も持っていた。根拠といえば、幼い時からマンガを読み続けているという、薄弱なものでしかなかったが。今となれば生意気極まりない、夜郎自大の困った記者であったと、自戒を込めて思う。
そんなうぬぼれがチラチラと、平清盛ではないが、衣の陰からのぞいていたのかもしれない。ある一言が、その編集者の忌避にふれたようだった。それは、私の発した「マンガは文化だから」という言葉である。「不倫は文化」と言ったとか言わなかったとかで物議を醸したタレントもいたが、私のこの一言も酒席をしらけさせてしまった。
「おもしろいこというじゃない」。彼もまた少し酔っていたのだろう。唇をゆがめ、うっすらと笑いを浮かべながら、そんな言葉で絡んできた。
「だって、そうでしょう。今の日本、いや少なくとも出版界ではマンガなしには立ちゆかないじゃないですか」。そんなことも含めて、手塚さんや石ノ森さん、藤子さんや赤塚さんの名前を挙げながら、マンガの魅力をまくし立てた。相手も、マンガ編集者として長年生きてきた人間である。当方のいうことなど百も承知。それでも、「マンガは文化」という言葉に異論をはさまずにはいられなかったのだ。彼は、こう吐き捨てた。
「文化が毎週毎週生まれてくるもんか」。思わず絶句した。
危ない雰囲気に、その場は知人が間に入ってお開きとなった。飲み直しの席で、「あんな人がマンガ雑誌を作ってるなんて」と気色ばむ当方を、知人は笑いながら取りなしてくれた。好きなマンガを仕事にできる、という当時の自分にはうらやましい立場なのに、そんな感覚かよ、と納得できない思いだった。だが、今となっては、彼の屈託が理解できるような気がする。
大量に生産され、大量に消費されるマンガ。それだけに大きな利益も生む。いいマンガを作りたいという理想と、売れるもの、ヒットするものを求められる現実との狭間(はざま)で、真剣に取り組めば取り組むほど、悩みは大きかったのではないだろうか。それを自分自身も実感させられることになろうとは、その時には予想すらしていなかった。
吉弘幸介:読売新聞東京本社記者。文化部で10年余マンガなどを担当した。
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